朗読の場では、皆で、一つの作品に取り組むことができます。一人では行けないところまで、グンと作品理解が深まります。うれしいですね(^^)
『こりす物語』【1】⑧に、「むねをおどらせるこりすに、上のほうから、ことりたちがききました。」という文があります。
Hさまの朗読で「上のほうから」という言葉を聴いて、上のほうを見上げる感覚を持てて、とてもうれしかった!続く台詞も、上から下へ、下から上へ、の方向を伴っていましたね。森のなか、こりすの隣で〈作品世界〉を愉しむことができました(^^♪
さて、ある方が「小鳥は、上のほうから下のほうの枝へ降りてきて、距離を縮めてこりすに声をかけたと思う」とおっしゃったので、「語り手は、そのようには語っていませんね」とお話しました。どうも小鳥のいる枝があまり上のほうだと都合が悪いと思っていらっしゃるようで、[このくらいの高さ]という、その方なりに高さを決定したご様子でした。解釈して楽になりたいという思いなのでしょうね。「上のほう」という〈語り手〉の語りからは、その高さについては、読者にまかせてもらえるとお話しましたが…
たとえば「上のほうから」を、すごく高いところだと仮定してみると…いかがですか?
「むねをおどらせるこりすに、上のほうから、ことりたちがききました。」
という文に続く、小鳥とこりすの会話シーンの映像が大きく変わりませんか♫
当たり前のように思い描いていた、木の枝に小鳥がいて、その下の地面にこりすがいるというロングショットの映像が、小鳥もこりすも認識できないくらいの超ロングショットの映像に変わる!そうすると、こりすと小鳥という限定が外れて、言葉そのものが、ぐんと力を増すのを感じます。
「写すのよ。この森にあるもの、はしからはしまで、なーんでもね。」というこりすのうきうきした声に、「(書き)写すのよ。この世界にあるもの、はしからはしまで、なーんでもね。」という物語作者の声が、重なって聞こえてくるようですね(^^)
「小鳥の声がこりすに届く距離だから、このぐらいの高さが妥当だわ」というふうに、自分の靴を履いたまま、自分の見たい景色を見てしまいがちだけれど…。自分の靴を脱げると、〈語り手〉理解が深まり、〈作品世界〉が豊かになります。皆さまとご一緒する朗読の場で、いろいろな刺激をいただきます。そして、たくさんの発見が生まれます。感謝です‼️