2021年3月23日火曜日

★豊田朗読研究会レッスン

 月に一度の豊田レッスン。皆さま、今日も熱心なお取り組みをありがとうございました(^^)🌸いつものように身体という素晴らしい楽器のお手入れをしたあと、音読と言葉についての考察をご一緒に深めました。

音読とは声を出して読むこと。〈文字として存在している言葉〉は、音読されて〈音声を伴った言葉〉となります。ところで…この〈文字として存在している言葉〉には、音読されることを待ち望んでいる言葉と、そうでもない言葉があるように思います。

前者は、未完成の状態の言葉といえるかもしれません。すなわち音読者によって音声表現されて完成する言葉たちです。音読者は、どのように表現するかを自分が考えればいい。音読者であるあなたが語り手になればいい。アナウンス原稿も、演劇・朗読劇・話芸の台本も、昔話や民話なども、ひょっとしたらあなたに表現してもらいたいと思っているかもしれません(^^)

それに対して後者は、音声を伴った言葉としてすでに完成した言葉といえるでしょう。それがたまたま音声を剥奪されて文字として存在しているという状態の言葉です。例えば黙読を前提に創作された小説など文学作品の言葉は、音読者であるあなたに表現されて完成するわけではありません。あなたに語り手になってほしいなどこれっぽっちも思っていない。もうすでに語り手は決まっているのだから。では、音読者にできること許されることはなんでしょうか?それは、音声を剥奪されて文字となった言葉に、もともと持っていた音声を取り戻すことです。語り手を追体験して、言葉が生まれた身体を発見しましょう。そして、語り手の身体と重なった自分の身体を奏でればいい。残念ながら、その音声がそのまま語り手の音声にはなりません。それでいいのです。朗読は語り芸でも話芸でもなく読書なのですから。あなたの奏でる音声は、聴き手に、語り手の身体を想起させることができます。繰り返します。あなたは語り手ではありません。あなたが語り手を追体験することで生まれる音声は、聴き手にも語り手の追体験を促せるかもしれない。それができたら最高の朗読だと思います。そんなお話をいたしました(^^♪ 

次回は、『はまべのいす』の夕方シーン。登場人物はおじいさんですね。皆さまの朗読を楽しみにしています(^^)

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