2017年2月12日日曜日

語り手を読む

この作品の語り手は、どのような語り手でしょう?
という問いに、「すっぴんで何が悪い?」に似た開きなおりで、
「私です」と答えた朗読マダムがいらっしゃいます。
すっぴんを存じ上げませんが、とても美しい方なので、
すっぴんは大歓迎♪なのですが、語り手は私…は頂けません。

朗読するとは、語り手の語りにふさわしい声を与える行為。
朗読者は語り手を装って語る、とも言えるでしょう。
ややこしいかもしれないけれど…
朗読者は、語りに声を与える際、語り手を纏うのです。
すっぴんではなく、化粧するイメージ。
それも、まるですっぴんに見えるような化粧を。
そこまでいけば、自分の表現の引き出しが増えます。

語り手=「私です」つまり朗読者ならば、
語り手の意図を、想像することも、慮ることもない。
私はこう感じる・こう思う、で思考停止です。
その結果、私はこう思うから、こう表現します。
その何が悪いんですか?に行き着きます(ー ー;)
それでは成長も成熟もありません。
もちろん、ドラマそのものに、人を変える力はあるのでしょうが、
それは、お芝居にもできることです。
この語り手は、このドラマをどう語るか?なぜそう語るのか?
という辺りを考えることに、
文学作品の朗読ならではの醍醐味があるのだと思っています(^^)

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