エス・エー企画の浅井さまから、
『朗読を楽しむ集い』(先月14日にレピリエで開催)
レギュラー化の嬉しいお話を頂きました。
朗読を手段として作品理解を深めたのち、
レピリエの舞台に立って朗読をする、
(or 観客として朗読を聴く)、
という、たっぷり朗読と文学を味わう集いです。
会のあとには美味しいティータイム。
作品について、作家について、朗読について etc
ご参加くださった皆さまと語り合える時間も、
私にとってはたいへん楽しみです!
2〜3ヶ月に一回のペースで開催できたら♪
と思っています(^^)
2017年2月26日日曜日
2017年2月22日水曜日
小説の朗読を考える❷
小説の朗読は、語り手について思いを巡らせることから始まります。
一人称の語り手のみならず、三人称の語り手であっても、です。
どんなことばを使う語り手なのか? 語りの特徴は?
作者は、この物語を、どのような語り手に、
どのように語らせようとしたのか?一人称の語り手ならば、
なぜ作者はその登場人物を語り手に選んだのか? 等々…
語り手がイメージできてくると、語りぶりも見えてきます。
あとは、その語り手にふさわしい声と表現を、
与えていけばいいのです(^^) 簡単には参りませんが(・・;)
一人称の語り手のみならず、三人称の語り手であっても、です。
どんなことばを使う語り手なのか? 語りの特徴は?
作者は、この物語を、どのような語り手に、
どのように語らせようとしたのか?一人称の語り手ならば、
なぜ作者はその登場人物を語り手に選んだのか? 等々…
語り手がイメージできてくると、語りぶりも見えてきます。
あとは、その語り手にふさわしい声と表現を、
与えていけばいいのです(^^) 簡単には参りませんが(・・;)
2017年2月18日土曜日
朗読という読書のかたち
朗読では、舞台表現的側面のみならず、
文学受容的側面がとても大切ですが…
朗読するというoutputを意識することで、
文学受容というinputの質がどれほど高まることか!
朗読という読書のかたち、
ぜひ取り入れてみてください(^^)
文学受容的側面がとても大切ですが…
朗読するというoutputを意識することで、
文学受容というinputの質がどれほど高まることか!
朗読という読書のかたち、
ぜひ取り入れてみてください(^^)
NHKカルチャー朗読教室発表会☆6月23日です♪
NHKカルチャー朗読教室の発表会、
2017年は、3クラス合同で行います!
6月23日午後、hitomiホールにて。
hitomiホールさんでは3回目。毎年、
スタッフの皆さんに暖かく支えて頂きます♪
向田邦子さんのエッセイに初挑戦のマダムは、
他にも著書を5冊ゲットして、
作者研究を楽しんでいらっしゃるご様子。
取り組む姿勢の素敵さに励まされます(^^)
2017年は、3クラス合同で行います!
6月23日午後、hitomiホールにて。
hitomiホールさんでは3回目。毎年、
スタッフの皆さんに暖かく支えて頂きます♪
向田邦子さんのエッセイに初挑戦のマダムは、
他にも著書を5冊ゲットして、
作者研究を楽しんでいらっしゃるご様子。
取り組む姿勢の素敵さに励まされます(^^)
2017年2月14日火曜日
ん⁈声が出せない(・・;)
2010年サマーセミナーの打ち合わせの席でした。
一青窈さんの「ハナミズキ」の歌詞原稿を頂き、
朗読を促されたのですが…声が出てきません。
文字通り、声が出せないのです。
歌ったことはあるし、歌おうとしたら声は出るのに、
朗読しようとすると、声が出てこないのです。
不思議な体験でした。
どうして私、声が出ないんだろう?
それは…
誰のことばかわからないから、でした。
語り手の姿が見えない、
すぐには語り手をイメージできないのです。
時間をかけて歌詞と向き合ったことで、あぁこれは、
一青窈さんのお父さまのことばだ、と私なりに納得でき、
ようやく声が出ました。
「ハナミズキ」を朗読することができました(^^)
一青窈さんの「ハナミズキ」の歌詞原稿を頂き、
朗読を促されたのですが…声が出てきません。
文字通り、声が出せないのです。
歌ったことはあるし、歌おうとしたら声は出るのに、
朗読しようとすると、声が出てこないのです。
不思議な体験でした。
どうして私、声が出ないんだろう?
それは…
誰のことばかわからないから、でした。
語り手の姿が見えない、
すぐには語り手をイメージできないのです。
時間をかけて歌詞と向き合ったことで、あぁこれは、
一青窈さんのお父さまのことばだ、と私なりに納得でき、
ようやく声が出ました。
「ハナミズキ」を朗読することができました(^^)
2017年2月13日月曜日
小説の朗読を考える❶
朗読とは、活字(文字)として存在していることばに、
ふさわしい音を与えていく行為です。
アナウンス原稿や告知文には、
「わかりやすさ」という正解の物差しがあります。
アナウンス原稿を朗読するならば、
例えばNHKの夜7時のニュースのアナウンサーの方が、
良いお手本になりますね。
また、語り芸といわれる講談や落語の台本の朗読にも、
時間をかけて編み出されたお手本があります。
これらのことばは、声に出して読まれて完成することを前提に、
綴られた活字(文字)です。
一方、小説は黙読を前提に創作されています。
声を与えてくれと言っていることばではないのです。
聴き手と作品との良き出会いを演出する朗読を目指し、
精進いたします☆彡
ふさわしい音を与えていく行為です。
アナウンス原稿や告知文には、
「わかりやすさ」という正解の物差しがあります。
アナウンス原稿を朗読するならば、
例えばNHKの夜7時のニュースのアナウンサーの方が、
良いお手本になりますね。
また、語り芸といわれる講談や落語の台本の朗読にも、
時間をかけて編み出されたお手本があります。
これらのことばは、声に出して読まれて完成することを前提に、
綴られた活字(文字)です。
一方、小説は黙読を前提に創作されています。
声を与えてくれと言っていることばではないのです。
聴き手と作品との良き出会いを演出する朗読を目指し、
精進いたします☆彡
小説の数だけ語り手がいるということ
CD「夢一夜」(ゆめいちや)収録の『第一夜』と『鼻』と、
朗読者が違うように聴こえる、と感想を頂くことがあります。
声を変えようと思ったわけではありません。
『第一夜』と『鼻』の語り手は違うのですから、
語り手をイメージすると、自ずと声が変わるのです。
これは登場人物のセリフ表現でも同じこと。
10人の登場人物の声を、10個の声を造って朗読するのではなく、
登場人物をイメージすることで、そのような声になる。
そのように聴こえる声と表現になるのです。
声を造るのには限界があると思いますが、
イメージすることで自ずと生まれる声には限りがありません。
作品の数だけ語り手がいます。その語り手をイメージすることで、
作品の数だけの声と表現が生まれます(^^)
朗読者が違うように聴こえる、と感想を頂くことがあります。
声を変えようと思ったわけではありません。
『第一夜』と『鼻』の語り手は違うのですから、
語り手をイメージすると、自ずと声が変わるのです。
これは登場人物のセリフ表現でも同じこと。
10人の登場人物の声を、10個の声を造って朗読するのではなく、
登場人物をイメージすることで、そのような声になる。
そのように聴こえる声と表現になるのです。
声を造るのには限界があると思いますが、
イメージすることで自ずと生まれる声には限りがありません。
作品の数だけ語り手がいます。その語り手をイメージすることで、
作品の数だけの声と表現が生まれます(^^)
2017年2月12日日曜日
朗読で顔も変わる(^^)
今日は日曜朗読サロン✨
朗読マダムから、以下のご報告がありました。
小顔になったね、痩せた?って言われるんです!
ほら、頬がシュッとしてませんか?
発声練習、滑舌練習の賜物ですね。筋肉が
しなやかに引き締まって、ますます素敵です(^^)
朗読マダムから、以下のご報告がありました。
小顔になったね、痩せた?って言われるんです!
ほら、頬がシュッとしてませんか?
発声練習、滑舌練習の賜物ですね。筋肉が
しなやかに引き締まって、ますます素敵です(^^)
語り手を読む
この作品の語り手は、どのような語り手でしょう?
という問いに、「すっぴんで何が悪い?」に似た開きなおりで、
「私です」と答えた朗読マダムがいらっしゃいます。
すっぴんを存じ上げませんが、とても美しい方なので、
すっぴんは大歓迎♪なのですが、語り手は私…は頂けません。
朗読するとは、語り手の語りにふさわしい声を与える行為。
朗読者は語り手を装って語る、とも言えるでしょう。
ややこしいかもしれないけれど…
朗読者は、語りに声を与える際、語り手を纏うのです。
すっぴんではなく、化粧するイメージ。
それも、まるですっぴんに見えるような化粧を。
そこまでいけば、自分の表現の引き出しが増えます。
語り手=「私です」つまり朗読者ならば、
語り手の意図を、想像することも、慮ることもない。
私はこう感じる・こう思う、で思考停止です。
その結果、私はこう思うから、こう表現します。
その何が悪いんですか?に行き着きます(ー ー;)
それでは成長も成熟もありません。
もちろん、ドラマそのものに、人を変える力はあるのでしょうが、
それは、お芝居にもできることです。
この語り手は、このドラマをどう語るか?なぜそう語るのか?
という辺りを考えることに、
文学作品の朗読ならではの醍醐味があるのだと思っています(^^)
という問いに、「すっぴんで何が悪い?」に似た開きなおりで、
「私です」と答えた朗読マダムがいらっしゃいます。
すっぴんを存じ上げませんが、とても美しい方なので、
すっぴんは大歓迎♪なのですが、語り手は私…は頂けません。
朗読するとは、語り手の語りにふさわしい声を与える行為。
朗読者は語り手を装って語る、とも言えるでしょう。
ややこしいかもしれないけれど…
朗読者は、語りに声を与える際、語り手を纏うのです。
すっぴんではなく、化粧するイメージ。
それも、まるですっぴんに見えるような化粧を。
そこまでいけば、自分の表現の引き出しが増えます。
語り手=「私です」つまり朗読者ならば、
語り手の意図を、想像することも、慮ることもない。
私はこう感じる・こう思う、で思考停止です。
その結果、私はこう思うから、こう表現します。
その何が悪いんですか?に行き着きます(ー ー;)
それでは成長も成熟もありません。
もちろん、ドラマそのものに、人を変える力はあるのでしょうが、
それは、お芝居にもできることです。
この語り手は、このドラマをどう語るか?なぜそう語るのか?
という辺りを考えることに、
文学作品の朗読ならではの醍醐味があるのだと思っています(^^)
2017年2月9日木曜日
魅力的な朗読
魅力的な朗読とは…
朗読者の声や表現が魅力的な朗読、
というよりは、作品が魅力的に輝く朗読だと思っています。
(その為には魅力的な声も表現も必要でしょうが)
黙読では味わえなかった作品の魅力が味わえるような、
そんな、魅力的な朗読が聴きたいです!
そんな、魅力的な朗読がしたいです(^^)
朗読者の声や表現が魅力的な朗読、
というよりは、作品が魅力的に輝く朗読だと思っています。
(その為には魅力的な声も表現も必要でしょうが)
黙読では味わえなかった作品の魅力が味わえるような、
そんな、魅力的な朗読が聴きたいです!
そんな、魅力的な朗読がしたいです(^^)
2017年2月7日火曜日
谷川俊太郎さんの「生きる」の朗読
昨日はグループレッスンでした。
谷川俊太郎さんの「生きる」を、
時間をかけてていねいに味わいました。
ことばに対する思いが深まったことで、
どれほど音が変わるのでしょう?
次回例会での発表を楽しみにしています☆彡
谷川俊太郎さんとは、昨年11月に大阪で、
10年ぶりに同じ舞台に立たせて頂きました(^^)
俊太郎さんは、賢作さんと続木さんとのコラボで、
詩を朗読なさいました。いつものように、
ふわっとことばが心に届いて…
あの押しつけがましくない届き方が、素敵だなぁ…
谷川俊太郎さんの「生きる」を、
時間をかけてていねいに味わいました。
ことばに対する思いが深まったことで、
どれほど音が変わるのでしょう?
次回例会での発表を楽しみにしています☆彡
谷川俊太郎さんとは、昨年11月に大阪で、
10年ぶりに同じ舞台に立たせて頂きました(^^)
俊太郎さんは、賢作さんと続木さんとのコラボで、
詩を朗読なさいました。いつものように、
ふわっとことばが心に届いて…
あの押しつけがましくない届き方が、素敵だなぁ…
2017年2月5日日曜日
私は聴けているのだろうか…
かすかな声の表情を読める人がいます。
耳と心を‘声’に向けて開いて真摯に聴くことです。
聴けているつもりの人は、真剣に聴きません。
いつまでも、聴けているつもりのままです。
「私は聴けているのだろうか?」
…不安があるから、全身全霊をかけて聴く。
その結果、少しずつ聴けるようになるのだと、
思っています。
耳と心を‘声’に向けて開いて真摯に聴くことです。
聴けているつもりの人は、真剣に聴きません。
いつまでも、聴けているつもりのままです。
「私は聴けているのだろうか?」
…不安があるから、全身全霊をかけて聴く。
その結果、少しずつ聴けるようになるのだと、
思っています。
音読か朗読…宿題に出たら?
音読とは、
文字に音を与えること。
音読が宿題に出たら…
滑らかに読み上げられるように頑張ってください!
朗読とは、
文字にふさわしい音を与えること。
朗読が宿題に出たら…
作品とじっくり向かい合って、
深い理解を目指してください(^^)
文字に音を与えること。
音読が宿題に出たら…
滑らかに読み上げられるように頑張ってください!
朗読とは、
文字にふさわしい音を与えること。
朗読が宿題に出たら…
作品とじっくり向かい合って、
深い理解を目指してください(^^)
2017年2月3日金曜日
ていねいに音を探す☆
今日も、朗読教室の皆さんと、
‘ふさわしい音’を、真剣に探しました。
どんな情景なのかを具体的に考えて、
ことばにふさわしい音を見つけていきます。
このように丁寧に探した音を重ねていった結果、
作品がどんなふうに輝いてくれるのか…
ワクワクドキドキします(^^)
選び抜かれたことばと真摯に向かい合うひととき、
心地よい緊張感の生まれる時間です。
貴重な時間をご一緒に創って下さる皆さんに、
いつも心から感謝しています!
‘ふさわしい音’を、真剣に探しました。
どんな情景なのかを具体的に考えて、
ことばにふさわしい音を見つけていきます。
このように丁寧に探した音を重ねていった結果、
作品がどんなふうに輝いてくれるのか…
ワクワクドキドキします(^^)
選び抜かれたことばと真摯に向かい合うひととき、
心地よい緊張感の生まれる時間です。
貴重な時間をご一緒に創って下さる皆さんに、
いつも心から感謝しています!
朗読と俳句って一緒⁈
プレバトという番組の夏井いつき先生の俳句添削がとても好きです。
余計な表現を省いて、受け手にいかに想像力を働かせて映像を見てもらうか…
余計な表現を省いて、受け手にいかに想像力を働かせて映像を見てもらうか…
あぁ!俳句って朗読と同じじゃないですか!
俳句には17音という制限、朗読には聴覚情報だけという制限があります。
これらの制限があるからこそ、
表現は磨かれ、より豊かになっていきます(^^)
俳句には17音という制限、朗読には聴覚情報だけという制限があります。
これらの制限があるからこそ、
表現は磨かれ、より豊かになっていきます(^^)
2017年2月2日木曜日
朗読公演ならではの喜び☆彡
朗読公演の面白みは、観客に想像の余地が残されていて、公演の場で、
朗読者と聴き手とで、一つの作品世界を創り上げる喜びがあることです。
黙読では想像の翼がうまく開かなかった人も、
朗読に導かれるようにイメージが広がるならば、とても素敵。
朗読者は誤解してはいけません。
自身の読み自体に想像の余地を残すわけではないのです。
細部までしっかりイメージすること。
その上で、聴き手に押し付けないこと。
すなわち、朗読者が語り手になりきらないことです。
朗読者と聴き手とで、一つの作品世界を創り上げる喜びがあることです。
黙読では想像の翼がうまく開かなかった人も、
朗読に導かれるようにイメージが広がるならば、とても素敵。
朗読者は誤解してはいけません。
自身の読み自体に想像の余地を残すわけではないのです。
細部までしっかりイメージすること。
その上で、聴き手に押し付けないこと。
すなわち、朗読者が語り手になりきらないことです。
2017年2月1日水曜日
くどうなおこさんの「ばらの初夏」の朗読
昨日のセミプライベートレッスンでは、
くどうなおこさんの詩「ばらの初夏」を、
素敵な朗読マダム3人に朗読して頂きました。
目を閉じて聴いていると…
Kさんの朗読ではキラキラ笑顔の語り手が、
Yさんの朗読では柔らかな笑顔の語り手が、
Uさんの朗読ではナチュラル笑顔の語り手が、
目に浮かんできました。
どれが正解、ではなく、どれも大正解!
お三方の朗読で素敵な詩がさらに輝きました!!
春を飛び越えて、初夏に遊ぶひとときを、
あなたもぜひ(^^)
くどうなおこさんの詩「ばらの初夏」を、
素敵な朗読マダム3人に朗読して頂きました。
目を閉じて聴いていると…
Kさんの朗読ではキラキラ笑顔の語り手が、
Yさんの朗読では柔らかな笑顔の語り手が、
Uさんの朗読ではナチュラル笑顔の語り手が、
目に浮かんできました。
どれが正解、ではなく、どれも大正解!
お三方の朗読で素敵な詩がさらに輝きました!!
春を飛び越えて、初夏に遊ぶひとときを、
あなたもぜひ(^^)
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