2022年10月30日日曜日

森絵都さんの『こりす物語』【1】追記:朗読のための〈語り手〉理解

 朗読の場では、皆で、一つの作品に取り組むことができます。一人では行けないところまで、グンと作品理解が深まります。うれしいですね(^^)

『こりす物語』【1】⑧に、「むねをおどらせるこりすに、上のほうから、ことりたちがききました。」という文があります。

Hさまの朗読で「上のほうから」という言葉を聴いて、上のほうを見上げる感覚を持てて、とてもうれしかった!続く台詞も、上から下へ、下から上へ、の方向を伴っていましたね。森のなか、こりすの隣で〈作品世界〉を愉しむことができました(^^♪
さて、ある方が「小鳥は、上のほうから下のほうの枝へ降りてきて、距離を縮めてこりすに声をかけたと思う」とおっしゃったので、「語り手は、そのようには語っていませんね」とお話しました。どうも小鳥のいる枝があまり上のほうだと都合が悪いと思っていらっしゃるようで、[このくらいの高さ]という、その方なりに高さを決定したご様子でした。解釈して楽になりたいという思いなのでしょうね。「上のほう」という〈語り手〉の語りからは、その高さについては、読者にまかせてもらえるとお話しましたが…

たとえば「上のほうから」を、すごく高いところだと仮定してみると…いかがですか?
「むねをおどらせるこりすに、上のほうから、ことりたちがききました。」
という文に続く、小鳥とこりすの会話シーンの映像が大きく変わりませんか♫
当たり前のように思い描いていた、木の枝に小鳥がいて、その下の地面にこりすがいるというロングショットの映像が、小鳥もこりすも認識できないくらいの超ロングショットの映像に変わる!そうすると、こりすと小鳥という限定が外れて、言葉そのものが、ぐんと力を増すのを感じます。
「写すのよ。この森にあるもの、はしからはしまで、なーんでもね。」というこりすのうきうきした声に、「(書き)写すのよ。この世界にあるもの、はしからはしまで、なーんでもね。」という物語作者の声が、重なって聞こえてくるようですね(^^)

「小鳥の声がこりすに届く距離だから、このぐらいの高さが妥当だわ」というふうに、自分の靴を履いたまま、自分の見たい景色を見てしまいがちだけれど…。自分の靴を脱げると、〈語り手〉理解が深まり、〈作品世界〉が豊かになります。皆さまとご一緒する朗読の場で、いろいろな刺激をいただきます。そして、たくさんの発見が生まれます。感謝です‼️

2022年10月29日土曜日

森絵都さんの『こりす物語』【1】⑤〜⑨:朗読のための〈語り手〉理解

 【1】の⑤で、〈語り手〉は、「願った」ではなく、「願いつづけた」と語ります。その時間の長さが、思いついた喜びと繋がるのですね。「あるとき」、「いいこと」、「そうだわ」の4拍音が、とても心地良いリズムを刻んでくれるのを感じます。

⑥は、④同様〈語り手〉について気になるところ。この〈語り手〉は、「じぶんの見たものを、ことばにするのがとくいでは」ないこりすを、「不器用なこりす」と呼びます。「手さきは器用」であるのに…です。この捉え方は、この〈語り手〉ならではの感性なのかしら?

⑥の「やるだけやってみましょう」から、⑦⑧⑨へと、前向きな、積極的なこりすが目に浮かびます。例えば…、⑦の「ぎゅっぎゅ」は、「ぎゅっぎゅっ」よりも、汁を搾り出す手の力強さを感じますね。そして、最後の一滴まで搾り出す感じも受けます。この〈語り手〉は、こりすの手の動きをクローズアップで読者に見せて、こりすの本気度を感じさせようとするのかな?こりすの人柄ならぬリス柄を感じさせようとするのかな?…こういった朗読者の考えていることが、すべて朗読した際、音に変わるのですね。浅い考えで文字を読み上げていては、厚みのある音にはなりませんね(^^)

2022年10月21日金曜日

アクティブ・ラーニング

 「えっ、そこまで考えるんですか?!」と驚く方がいらっしゃるけれど、そこまで考えるのが朗読で、そこまで考えるから朗読…なのでしょう(^^)

今日は、中京大学の学生さんたちのアクティブラーニング活動のお手伝いです。熱田高校で、茨木のり子さんの「わたしが一番きれいだったとき」を皆で味わうイベント。

[小説や詩の朗読を、【表現】ではなく【体験】だと捉えることで、作品理解はぐんと深まる]

という体験を、ご一緒に楽しめればと思っています。素晴らしい学生さんたちと出会えて、豊かな時間を共有できて、とても幸せな秋です(^^♪

2022年10月9日日曜日

森絵都さんの『こりす物語』【1】①〜④:朗読のための〈語り手〉理解

10月期は、森絵都さんの『こりす物語』を読んでいきます。児童文学のジャンルですが、いろいろ考えさせてくれる豊かな作品だと思って取り上げました。

大きく6つの章【1】〜【6】に分かれています。今日進んだのは【1】の形式段落④まで。次回KさまとMさまに朗読していただいたあと、⑤〜⑨へと読み進めてまいりましょう(^^)

【1】の冒頭で〈語り手〉は読者を森へと誘います。こりすの暮らす森です。〈語り手〉は、こりすがどれほどちいさいかを念入りに語ります。ですから私たち読者が、脳内に広がる作品世界で出会うのは、本当にちいさなこりす。「だいぶちがっていた」という〈語り手〉の語りが説得力を持ちますね。
②の「ものすごく大きくてりっぱ」「森の王さま」と発話するのはこりすですね。どのような表情から生まれる言葉なのか…こりすの表情をしっかりイメージしてください。もちろん野うさぎやシカの表情も。
〈語り手〉は、抽象化と具体化を繰り返して、③のこりすの発話を読者に聞かせます。こりすの表情が変化していくのが見えますか?こりすが「わたしの見ているもの」と語るとき、こりすの脳内には素晴らしいモノが見えているのでしょう。「じんじんするくらい」という発話は、どのような身体から生まれているのでしょう?私の中からは「じんじんするくらい」という言葉はなかなか出てきません。「じんじんするくらい、すてきな瞬間」って?!ワクワクしますね!
④の一行、「その素敵な瞬間を、どうか、みんなにも見てほしい。」は、こりすに言わせるのではなく〈語り手〉自身が語ります。なぜだろう?問いが生まれますね。ひょっとしたらこの「みんな」には、森の動物だけではなく私たち読者も含まれるのかしら…。こりすの願いは、じつは〈語り手〉の願い、〈語り手〉の向こうにいる作者の願いなのだろうな……

皆さまとご一緒する朗読教室で、〈語り手〉理解がどんどん深まっていきます。楽しくて、刺激的で、じんじんするくらい素敵な時空間に感謝です❣️さぁ、こりすちゃんの大冒険をドキドキしながら辿ってまいりましょう(^^♪