前回に引き続き『雪おんな』のラストシーンです(^^)↓
「それは、あたしーあたしーあたしなの! この雪だったのです! あのとき、わたしは、もしあなたがそのことをひと言でも洩らしたら殺す、と申しました!…(後略)」
お雪(雪おんな)にふさわしい音は見つかりましたか?
一つ目の「あたし」も、二つ目の「あたし」も、三つ目の「あたし」も、四つ目の「この雪だったのです」も、さらには次の「あのとき、わたしは、もしあなたがそのことをひと言でも洩らしたら殺す、と申しました」までも、すべてを〈なんで言っちゃったのよ!〉等の怒りの表現だけで通せるものでしょうか…激しさをただ増していく表現では、お雪(雪おんな)の心情に寄り添うことは難しいだろう思います。すべてが巳之吉を責める音・詰る音ならば、それはお雪(雪おんな)を一つの行動…巳之吉を殺す、という行動へと導きかねません。語り手の描写に即して、お雪(雪おんな)になりきって動いてみましょう。
目の前には巳之吉の顔がありますが、それは最初からお雪(雪おんな)の目に映っているのでしょうか?そうでないならば、どの辺りから目に入るのでしょう。巳之吉の表情も刻々と変化するはずです。
一つ目の「あたし」は、反射的に動いた身体から自然に身体の外に出る音、二つ目は、自分の言葉に促されて、自分が雪おんなであることをあらためて認識したときに出てくる音、そして三つ目は、自分がまさに雪おんなであることに絶望して漏れ出た音だと、私は思いました。そしてその後、ようやく巳之吉と対峙し、彼の眼に映る自分を見ながら「この雪だったのです」と伝えるひと言からは、絶望にさらに悲しみであったり痛みであったり…が加わった音声が聞こえてこないでしょうか?
お雪の身体の有りようも、その身体を奏でる心情も徐々に変容していくのですから、音質はすべて変わるはず。想像力でお雪を生きることで、見えてくるものは数多くありますね。(同じ言葉が並んでいるから変えておこうと、例えば…一つ目は弱く、二つ目は高く等々、表面的な音声を操作する、なんていうのはもっての外です💦)
もちろん作品受容はいろいろです。あなたが選び抜いたふさわしいと思う音を聴かせてほしいのです☆
優れた文学作品は、さまざまな受容を許容してくれる。だからこそ、朗読も芸術となり得るし面白いのですね。
フィクションの世界に逃げるのではなく、フィクションの世界に身を置くことで自分を成長させることができるから文学に惹かれます。そして、文学を豊かに鑑賞する有意義な手段となる朗読に、心底、惹かれています(^^)
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