あなたが〈語り手〉ではないのですから、あなたがどの
ように思うか、どのように感じるか、で留まるわけには
いきません。作者の意図 を探って、語り手の語りぶりを
イメージしましょう。語り手の立ち位置(登場人物との
距離)によって、同じ情景であっても、ふさわしい音は
変わってくるのですね、ほんと奥が深いっ!
朗読教室では、発表会に向けた稽古が始まっています。
朗読マダム&朗読ムッシュの皆さまの 真摯なお取り組み
は、読みの深化に繋がります。獲得した豊かな読みを、
声の表情に反映させていきましょう。きっと素敵な発表
会になりますね。ワクワクします(^^)
2018年2月10日土曜日
2018年2月8日木曜日
朗読は楽しい(^^)☆
〈朗読する〉とは、文字となって存在している言葉に、
ふさわしい音を与えていくこと。文字を機械的に音声化
する音読とは、区別してもよいかもしれませんね。
さて、ニュース原稿を朗読するとき、ふさわしい音とは
どのような音でしょう。NHK定時のニュースを担当する
アナウンサーの方はお手本です。わかりやすく伝達する
ための音声表現とはどのようなものかが学べます(^^)
文学作品の朗読では、言葉にふさわしい音を与えて作品
を輝かせることを目指します。ニュース原稿を朗読する
ときのように音質を一定に保ち、間や緩急・音の高低で
表現していくだけではありません。文学作品の豊かさに
寄り添うのですから、どこまでも豊かな世界です。文学
作品の朗読には、想像と創造の喜びも!あるのです✨
ふさわしい音を与えていくこと。文字を機械的に音声化
する音読とは、区別してもよいかもしれませんね。
さて、ニュース原稿を朗読するとき、ふさわしい音とは
どのような音でしょう。NHK定時のニュースを担当する
アナウンサーの方はお手本です。わかりやすく伝達する
ための音声表現とはどのようなものかが学べます(^^)
文学作品の朗読では、言葉にふさわしい音を与えて作品
を輝かせることを目指します。ニュース原稿を朗読する
ときのように音質を一定に保ち、間や緩急・音の高低で
表現していくだけではありません。文学作品の豊かさに
寄り添うのですから、どこまでも豊かな世界です。文学
作品の朗読には、想像と創造の喜びも!あるのです✨
文学作品を輝かせる✨☆
朗読者は、〈文学作品を輝かせること〉に心を尽くせると
素敵ですね。どの言葉、どの文章に、どう光を当てるのか
、センスが問われるところです。
朗読教室は、このセンスを育む場なのだと思います(^^)
的確に光を当てて、作品を輝かせることができたならば、
作品の魅力に照らさせて、朗読者も輝きます✨
朗読は、単なる読み上げ行為を超えて、作品批評の一面も
持っています。朗読という表現ジャンルが、ますます充実
していきますように☆彡
素敵ですね。どの言葉、どの文章に、どう光を当てるのか
、センスが問われるところです。
朗読教室は、このセンスを育む場なのだと思います(^^)
的確に光を当てて、作品を輝かせることができたならば、
作品の魅力に照らさせて、朗読者も輝きます✨
朗読は、単なる読み上げ行為を超えて、作品批評の一面も
持っています。朗読という表現ジャンルが、ますます充実
していきますように☆彡
2018年2月5日月曜日
成長、成熟の喜び。。。
「この作品の朗読を始めた当初は、ふさわしい声を出そう
とすると息が苦しかったのに、1年練習して、いまは楽に
出せるようになりました」「この作品に出会ったときには
、あまり良さがわからなかったけれど、いまは魅力がよく
わかります!」等、今日も朗読マダムの皆さまが、素敵な
笑顔でお話しくださいました。朗読では、優れた作品が、
朗読者の身体も心も育ててくれるのですね(^^)
とすると息が苦しかったのに、1年練習して、いまは楽に
出せるようになりました」「この作品に出会ったときには
、あまり良さがわからなかったけれど、いまは魅力がよく
わかります!」等、今日も朗読マダムの皆さまが、素敵な
笑顔でお話しくださいました。朗読では、優れた作品が、
朗読者の身体も心も育ててくれるのですね(^^)
2018年2月3日土曜日
朗読会って?☆
落語会の主役は落語家。ではワイン会の主役は?朗読会の
主役は朗読者?それとも、朗読する作品なのでしょうか?
朗読する文学作品と朗読者、そして聴き手も主役になれる
ような朗読会が創れたら素敵ですね(^^)
「この言葉を変えたほうが観客に受けるだろうから」とか
「 時間がないから、この文章は削って適当につなげて…」
とか、朗読する側の都合で、勝手に作品の言葉を変更して
発表するとき、朗読は語り芸の一つになります。この場合
、朗読会の主役はもちろん朗読者です。
ずいぶん前になりますが、森鴎外の「高瀬舟」を朗読する
という方がいらしたので、楽しみに出かけましたら……
「時間の都合で」とおっしゃって、継接ぎの高瀬舟を朗読
なさいました。「作品の一部を」ならまだしも、森鴎外の
作品ではなくなったものを、「高瀬舟」の朗読だと差し出
され、たいそう悲しくなりホールを出た覚えがあります。
「高瀬舟」もどきは「高瀬舟」ではありません。他にも、
「私が朗読するんだからどう読もうと私の勝手でしょ」と
いう声が、朗読の向こうから聴こえてくるような自分本意
の朗読を聴かされるとき、悲しくなります。上手下手では
なくて、作品への敬意の有無なのだと思います。
文学作品は本来、朗読のための台本として書かれたわけで
はないのです。〈歌われることで聴き手に届く〉のを前提
に創作された歌詞や、〈俳優の演技とともに観客に届く〉
ように創作された脚本や、〈演奏されて聴衆に届く〉のが
自然な楽譜とは性格を異にするもの。〈朗読されて聴き手
に届く〉ことを前提に創作されてはいない作品を朗読する
のですから、作品に敬意を払って払いすぎるということは
決してありません。感謝の気持ちを忘れずに、作品が輝く
ような朗読を目指し精進してまいります(^o^)/
主役は朗読者?それとも、朗読する作品なのでしょうか?
朗読する文学作品と朗読者、そして聴き手も主役になれる
ような朗読会が創れたら素敵ですね(^^)
「この言葉を変えたほうが観客に受けるだろうから」とか
「 時間がないから、この文章は削って適当につなげて…」
とか、朗読する側の都合で、勝手に作品の言葉を変更して
発表するとき、朗読は語り芸の一つになります。この場合
、朗読会の主役はもちろん朗読者です。
ずいぶん前になりますが、森鴎外の「高瀬舟」を朗読する
という方がいらしたので、楽しみに出かけましたら……
「時間の都合で」とおっしゃって、継接ぎの高瀬舟を朗読
なさいました。「作品の一部を」ならまだしも、森鴎外の
作品ではなくなったものを、「高瀬舟」の朗読だと差し出
され、たいそう悲しくなりホールを出た覚えがあります。
「高瀬舟」もどきは「高瀬舟」ではありません。他にも、
「私が朗読するんだからどう読もうと私の勝手でしょ」と
いう声が、朗読の向こうから聴こえてくるような自分本意
の朗読を聴かされるとき、悲しくなります。上手下手では
なくて、作品への敬意の有無なのだと思います。
文学作品は本来、朗読のための台本として書かれたわけで
はないのです。〈歌われることで聴き手に届く〉のを前提
に創作された歌詞や、〈俳優の演技とともに観客に届く〉
ように創作された脚本や、〈演奏されて聴衆に届く〉のが
自然な楽譜とは性格を異にするもの。〈朗読されて聴き手
に届く〉ことを前提に創作されてはいない作品を朗読する
のですから、作品に敬意を払って払いすぎるということは
決してありません。感謝の気持ちを忘れずに、作品が輝く
ような朗読を目指し精進してまいります(^o^)/
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