2018年2月3日土曜日

朗読会って?☆

落語会の主役は落語家。ではワイン会の主役は?朗読会の
主役は朗読者?それとも、朗読する作品なのでしょうか?
朗読する文学作品と朗読者、そして聴き手も主役になれる
ような朗読会が創れたら素敵ですね(^^)

「この言葉を変えたほうが観客に受けるだろうから」とか
「 時間がないから、この文章は削って適当につなげて…」
とか、朗読する側の都合で、勝手に作品の言葉を変更して
発表するとき、朗読は語り芸の一つになります。この場合
、朗読会の主役はもちろん朗読者です。
ずいぶん前になりますが、森鴎外の「高瀬舟」を朗読する
という方がいらしたので、楽しみに出かけましたら……
「時間の都合で」とおっしゃって、継接ぎの高瀬舟を朗読
なさいました。「作品の一部を」ならまだしも、森鴎外の
作品ではなくなったものを、「高瀬舟」の朗読だと差し出
され、たいそう悲しくなりホールを出た覚えがあります。
「高瀬舟」もどきは「高瀬舟」ではありません。他にも、
「私が朗読するんだからどう読もうと私の勝手でしょ」と
いう声が、朗読の向こうから聴こえてくるような自分本意
の朗読を聴かされるとき、悲しくなります。上手下手では
なくて、作品への敬意の有無なのだと思います。

文学作品は本来、朗読のための台本として書かれたわけで
はないのです。〈歌われることで聴き手に届く〉のを前提
に創作された歌詞や、〈俳優の演技とともに観客に届く〉
ように創作された脚本や、〈演奏されて聴衆に届く〉のが
自然な楽譜とは性格を異にするもの。〈朗読されて聴き手
に届く〉ことを前提に創作されてはいない作品を朗読する
のですから、作品に敬意を払って払いすぎるということは
決してありません。感謝の気持ちを忘れずに、作品が輝く
ような朗読を目指し精進してまいります(^o^)/

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