どうやら世の中の多くの方が、朗読には〈アナウンサーの
朗読〉と〈俳優の朗読〉しかなくて、前者がいわゆる王道
の朗読だと思っていらっしゃる。そのように感じることが
このところ続きました(・・;)
朗読家としては「いいえ違うんです」と申し上げたくて☆
敬愛する朗読マダム&朗読ムッシュの皆さまが取り組んで
くださっている朗読は、文学作品を輝かせることで、黙読
で得られるであろう以上のものを提供できる朗読です。
正確にわかりやすく音読するのとは違います。それならば
アナウンサーにも、コンピューターにだってできます。
また、文学作品よりも朗読者が印象に残るのも違います。
俳優の方が朗読されると、このようなことがままあるよう
に感じます。朗読者が、作品の中に存在している語り手と
一致しているかのような表現は、語り芸や一人芝居と同じ
です。《読み語り》とでも呼びたいその表現は、魅力的な
俳優さんの場合は、エンターテイメントとして成立すると
思います。でも小説や詩の朗読においては、一つの通過点
だと考えます。小説の語り手は、朗読者をはるかに超えた
存在。そのことを意識して表現できたならば、作品空間が
グンと広がります。
聴き手の作品受容の在り方が、黙読時より豊潤になるよう
促せたとき、朗読者の朗読に存在価値が生まれます。朗読
者は発信する側で観客は受信する側と二分するのではなく
、聴き手と朗読者とで一つの作品を共有し、(茶道でいう
ところの一座建立のように)一緒に豊かな作品世界を創造
できたならばどんなに素敵でしょう!
朗読を通して《優れた文学作品を、豊かに味わう文化》が
育まれていきますように(^^)✨
こんばんは。昨日お会いでき、お話できた幸運に感謝しています。ありがとうございました(^^)
返信削除まだ朗読の世界に足を踏み入れたばかりで、朗読の奥深さを堪能できてはいないと思います。石田先生のおっしゃる「小説の語り手の存在」を感じられていないのではないかと(^^;)
でも、朗読グループのメンバーと読み比べをしていると、表現とその解釈の多様さに驚きます。誰一人として同じ読みにはならない!文学の感性に対する触媒としての力と、朗読のおもしろさを感じます。これが「優れた文学作品を、豊かに味わう」ことにつながっていくのでしょうか。
これからもよろしくお願いしますm(__)m
コメント嬉しく拝読いたしました。ありがとうございます(^^)
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