そこにある文字列を、聴き手に向けて、わかりやすく読み上げるのが朗読ですか?セリフなどは、ニュアンスを込めて読み上げるのですか?
いえいえ。これは、アナウンスや読み聞かせのスタンスです。
小説を朗読するときにも、アナウンス原稿を朗読するときと同じスタンスの方が、今でも少なからずいらっしゃるように感じます。
でも朗読者は、こういう方ばかりではありません(^^)
小説を朗読する際には、作品世界の中にいる〈語り手〉という他者を、深く理解しようとして、懸命に言葉と向き合っている朗読者も、大勢いらっしゃると思います。私も、そうありたいと思いながら朗読を続けています。
アナウンスの延長のような、もしくは、一人芝居の簡易版のような、旧態依然とした朗読に疑問を持たず、小説を、まるでアナウンス原稿のように、もしくは朗読劇の台本のように、(知らず知らずのうちに)扱っていると、残念なことに、その朗読者の感性は確実に鈍ります。感性の衰えは、目には見えません。自分で気づかない、気づけないから、とてもおそろしいですね。
小説の朗読は、声を出して読む読書です。声を出して読むことで、自分が読めていないことー〈語り手〉を理解できていないことーを知ります。そして、そこが、スタート地点です(^^)
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