アナウンス原稿や教養書etcと文学作品とでは、そもそも目的が違います。前者は事実や知識を伝えようとしますし、後者は経験それ自体を伝えようとしています。
『これが本当の朗読だ』というタイトルに惹かれて読んだ本の中に、芥川龍之介の小説に関する記述がありました。
「芥川は、読点の付け方が正確ではなく、その通りに朗読すると伝わりにくい。わかりやすく伝えるために、読点の位置を付け替えなさい。 読点を省きなさい」というような
内容でした。芥川の文学を、アナウンス原稿と同じように扱っているのです。何も疑わずに、これが本当の朗読なのねと鵜呑みにする方がいらっしゃったら悲しい。これでは宝の持ち腐れどころか作品が歪んで届いてしまいます。
芥川が伝えようとしているのは経験です。まさに読点通りの息遣いです。身体です。心情です。読点を大事に考えることから、芥川作品の受容は深まっていくのです。
話を戻します。経験を伝えようとしている文学作品は、「体験する」という読み方を待っています。表面だけ、字面だけを追っていては体験になりません。時間をかけて頭も身体も総動員して、言葉に深くコミットすることが大切です。それでも、経験値を超えるコミットメントはなかなか難しい…。自分だけで読んでいては、そう簡単には超えられません。もし他者の読書体験に接する機会を持てたならば、刺激を受けたり、気づきが生まれたりして、さらに豊かな読書体験ができます。
優れた朗読には、聴き手の読書をより豊かな体験へと導く力があります✨そんな朗読こそ現代に存在意義を持つ朗読なのでしょう。前近代を引き摺ったままの朗読(上手なわかりやすい読み上げ行為)を超えた現代の朗読を目指します。ご一緒に豊潤な朗読文化を育んでまいりましょう(^^♪
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