5月6日の投稿『朗読』に、コメントをいただきました。
AOBAさま、コメント有難うございます。先日は、教師を
目指す学生さんたちが、AOBAさまとともに朗読を学んで
いらっしゃることを伺い、とても嬉しくなりました。
朗読は、読みの深化を促してくれます。また朗読は、自分
がその作品をどのように読んでいるか、という文学批評に
もなり得ます。今後、国語の授業における朗読のあり方も
、豊かな文学受容に繋がるものに進化すると素敵ですね。
AOBAさまがいてくださって、たいへん心強いです!
「文学の感性に対する触媒としての力」と書いてください
ましたが、本当に、さまざまな読みが生まれてくることに
驚きます。他者の読みを受け止めて、感じたり、考えたり
、話し合ったりしながら、読みは次第に深まっていくのだ
と思います。文学作品を豊かに味わう空間がそこにあると
感じています。話し合いの結果、同じ読みに至ったとして
も、朗読を聴いてみると、それぞれにそれぞれの味わいが
ある。身体という楽器が異なるからですね。奥が深い!!
朗読の道を歩めることに、いつも感謝しています(*^^*)
AOBAさま。そしてブログをお読みくださっている皆さま
。暖かくお見守りいただき心よりありがとうございます。
これからもどうぞ宜しくお願い申し上げます☆
2018年5月15日火曜日
2018年5月10日木曜日
名鉄カルチャー朗読教室発表会①
名鉄カルチャー朗読教室の発表会〔初夏の朗読会〕まで、
あと2週間となりました。5月24日午後2時30分開演です。
場所は名古屋都市センター14階で、窓からの景色も素敵な
会場です。ぜひ足をお運びください🎵
プログラム・トップの志村ふくみさん著「桜の匂い」は、
ちくま文庫『色を奏でる』から選んだ作品です。1924年、
滋賀県生まれの志村ふくみさんは、55年、植物染料による
染色を始め、90年、重要文化財保持者に認定されました。
ふくみさんは、草木がすでに抱いている色を頂くのだから
、どうかしてその色を生かしたいとおっしゃいます。
朗読も同じでしょう。優れた文学作品は、草木の如く命を
持っています。その作品がすでに抱いている言葉を頂くの
ですから、どうかしてその言葉を生かしたいと思います。
言葉の主張(朗読者の主張ではなく)をしかと聞き届け、
言葉を生かす表現ができるように……精進の日々です(^^)
あと2週間となりました。5月24日午後2時30分開演です。
場所は名古屋都市センター14階で、窓からの景色も素敵な
会場です。ぜひ足をお運びください🎵
プログラム・トップの志村ふくみさん著「桜の匂い」は、
ちくま文庫『色を奏でる』から選んだ作品です。1924年、
滋賀県生まれの志村ふくみさんは、55年、植物染料による
染色を始め、90年、重要文化財保持者に認定されました。
ふくみさんは、草木がすでに抱いている色を頂くのだから
、どうかしてその色を生かしたいとおっしゃいます。
朗読も同じでしょう。優れた文学作品は、草木の如く命を
持っています。その作品がすでに抱いている言葉を頂くの
ですから、どうかしてその言葉を生かしたいと思います。
言葉の主張(朗読者の主張ではなく)をしかと聞き届け、
言葉を生かす表現ができるように……精進の日々です(^^)
2018年5月6日日曜日
朗読(^^)☆
どうやら世の中の多くの方が、朗読には〈アナウンサーの
朗読〉と〈俳優の朗読〉しかなくて、前者がいわゆる王道
の朗読だと思っていらっしゃる。そのように感じることが
このところ続きました(・・;)
朗読家としては「いいえ違うんです」と申し上げたくて☆
敬愛する朗読マダム&朗読ムッシュの皆さまが取り組んで
くださっている朗読は、文学作品を輝かせることで、黙読
で得られるであろう以上のものを提供できる朗読です。
正確にわかりやすく音読するのとは違います。それならば
アナウンサーにも、コンピューターにだってできます。
また、文学作品よりも朗読者が印象に残るのも違います。
俳優の方が朗読されると、このようなことがままあるよう
に感じます。朗読者が、作品の中に存在している語り手と
一致しているかのような表現は、語り芸や一人芝居と同じ
です。《読み語り》とでも呼びたいその表現は、魅力的な
俳優さんの場合は、エンターテイメントとして成立すると
思います。でも小説や詩の朗読においては、一つの通過点
だと考えます。小説の語り手は、朗読者をはるかに超えた
存在。そのことを意識して表現できたならば、作品空間が
グンと広がります。
聴き手の作品受容の在り方が、黙読時より豊潤になるよう
促せたとき、朗読者の朗読に存在価値が生まれます。朗読
者は発信する側で観客は受信する側と二分するのではなく
、聴き手と朗読者とで一つの作品を共有し、(茶道でいう
ところの一座建立のように)一緒に豊かな作品世界を創造
できたならばどんなに素敵でしょう!
朗読を通して《優れた文学作品を、豊かに味わう文化》が
育まれていきますように(^^)✨
朗読〉と〈俳優の朗読〉しかなくて、前者がいわゆる王道
の朗読だと思っていらっしゃる。そのように感じることが
このところ続きました(・・;)
朗読家としては「いいえ違うんです」と申し上げたくて☆
敬愛する朗読マダム&朗読ムッシュの皆さまが取り組んで
くださっている朗読は、文学作品を輝かせることで、黙読
で得られるであろう以上のものを提供できる朗読です。
正確にわかりやすく音読するのとは違います。それならば
アナウンサーにも、コンピューターにだってできます。
また、文学作品よりも朗読者が印象に残るのも違います。
俳優の方が朗読されると、このようなことがままあるよう
に感じます。朗読者が、作品の中に存在している語り手と
一致しているかのような表現は、語り芸や一人芝居と同じ
です。《読み語り》とでも呼びたいその表現は、魅力的な
俳優さんの場合は、エンターテイメントとして成立すると
思います。でも小説や詩の朗読においては、一つの通過点
だと考えます。小説の語り手は、朗読者をはるかに超えた
存在。そのことを意識して表現できたならば、作品空間が
グンと広がります。
聴き手の作品受容の在り方が、黙読時より豊潤になるよう
促せたとき、朗読者の朗読に存在価値が生まれます。朗読
者は発信する側で観客は受信する側と二分するのではなく
、聴き手と朗読者とで一つの作品を共有し、(茶道でいう
ところの一座建立のように)一緒に豊かな作品世界を創造
できたならばどんなに素敵でしょう!
朗読を通して《優れた文学作品を、豊かに味わう文化》が
育まれていきますように(^^)✨
2018年5月3日木曜日
この作品が素晴らしいから(*^^*)
朗読者にとって最も大事なのは、朗読する文学作品を、誰
にも負けない位、豊かに受容することだと考えています。
楽器として優れた身体を持っているのは、もちろん素敵な
ことですが、文学作品の朗読というジャンルにおいては、
それは二の次。アナウンサーや俳優の片手間仕事の朗読は
、声の良さや滑舌の良さを披露しておしまいです。作品の
魅力を届けずに何のための朗読でしょう。朗読のテキスト
が、小説や詩である必要がどこにあるのでしょう?
ご自身の大好きな小説を、発表会で朗読することになった
朗読マダムは、「私の朗読で初めてこの作品に出逢う方に
も、いい作品だとわかってもらいたい」と、エネルギーも
時間も惜しまずに、言葉にふさわしい音、作品を輝かせる
音を、ひたむきに探し続けていらっしゃいます。発表会が
楽しみです。きっと聴いてくださる皆さまの心に響く朗読
、小説の魅力を共有できる朗読が✨生まれます(*^^*)
にも負けない位、豊かに受容することだと考えています。
楽器として優れた身体を持っているのは、もちろん素敵な
ことですが、文学作品の朗読というジャンルにおいては、
それは二の次。アナウンサーや俳優の片手間仕事の朗読は
、声の良さや滑舌の良さを披露しておしまいです。作品の
魅力を届けずに何のための朗読でしょう。朗読のテキスト
が、小説や詩である必要がどこにあるのでしょう?
ご自身の大好きな小説を、発表会で朗読することになった
朗読マダムは、「私の朗読で初めてこの作品に出逢う方に
も、いい作品だとわかってもらいたい」と、エネルギーも
時間も惜しまずに、言葉にふさわしい音、作品を輝かせる
音を、ひたむきに探し続けていらっしゃいます。発表会が
楽しみです。きっと聴いてくださる皆さまの心に響く朗読
、小説の魅力を共有できる朗読が✨生まれます(*^^*)
2018年4月30日月曜日
朗読の存在意義☆
朗読の存在意義について問い続けることは、大事な仕事
の一つだと感じています。
小説も詩も(もちろん例外はありますが)、黙読で享受
されることを前提に創作されます。いわゆる、語り芸や
お芝居の台本、歌詞などと違うところです。小説や詩を
豊かに受容するために朗読は存在するのだと考えます。
優れた受容に支えられた朗読は、ときに作品を輝かせる
ことができます。作品を輝かせる朗読を目指すことが、
小説や詩の豊かな受容を促すのです。文学作品に対する
リスペクト無しには、聴くに値する朗読は生まれないと
思います。逆に、作品をリスペクトする気持ちがあれば
、心に響く朗読は(時間はかかるかもしれないけれど)
いずれ、必ず生まれます(^^)
「発表したいから発表する。何が悪い?」という態度が
いかに傲慢であるか。「作品を輝かせたい。作品の魅力
を共有したい」と真摯に取り組む姿がいかに美しいか。
小説や詩の朗読を聴いていると、朗読者の心の在りよう
が、見たくなくても透けて見えてきます。謙虚に、感謝
を胸に、精進してまいります☆
の一つだと感じています。
小説も詩も(もちろん例外はありますが)、黙読で享受
されることを前提に創作されます。いわゆる、語り芸や
お芝居の台本、歌詞などと違うところです。小説や詩を
豊かに受容するために朗読は存在するのだと考えます。
優れた受容に支えられた朗読は、ときに作品を輝かせる
ことができます。作品を輝かせる朗読を目指すことが、
小説や詩の豊かな受容を促すのです。文学作品に対する
リスペクト無しには、聴くに値する朗読は生まれないと
思います。逆に、作品をリスペクトする気持ちがあれば
、心に響く朗読は(時間はかかるかもしれないけれど)
いずれ、必ず生まれます(^^)
「発表したいから発表する。何が悪い?」という態度が
いかに傲慢であるか。「作品を輝かせたい。作品の魅力
を共有したい」と真摯に取り組む姿がいかに美しいか。
小説や詩の朗読を聴いていると、朗読者の心の在りよう
が、見たくなくても透けて見えてきます。謙虚に、感謝
を胸に、精進してまいります☆
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