2022年7月13日水曜日

朗読教室の皆さま✨ありがとうございます✨

朗読する(=〈語り手〉を追体験する行為)ことはゴールではありませんし、朗読を聴くことも聴いておしまいではありません。目的を取り違えないようにしましょう。

朗読の目的は、〈語り手〉理解をさらに深化させて、〈作品世界〉を豊かに体験することです。

朗読者という朗読する読者は、自分の虚構体験(=脳内の〈作品世界〉)を開示します。それは、朗読を聴く読者の虚構体験を刺激します。そこで両者の間に交わされるものは、互いの〈語り手〉理解をぐんぐん深めてくれます(^^♪

朗読教室では、〈語り手〉という他者を理解しようとして、活発な言語活動が生まれています。脳は新しい体験をさぞ喜んでいることでしょう。他者理解を深める場は、大人として成熟していく場です。厳しいようですが、承認欲求を満たすだけの場ではないと考えています。探究心をもって、小説を豊かに読もうとする皆さまと過ごせる時間に、心から感謝しています。皆さま✨ありがとうございます(*^^*)

2022年7月3日日曜日

豊潤な朗読文化を✨

アナウンス原稿や教養書・実用書etcと文学作品とでは、そもそも目的が違います。前者は事実や知識を伝えようとしますし、後者は経験それ自体を伝えようとしています。

『本当の朗読』という言葉の入ったタイトルに惹かれて読んだ本の中に、芥川龍之介の小説に関する記述がありました。「芥川は、読点の付け方が正確ではなく、その通りに朗読すると伝わりにくい。わかりやすく伝えるために、読点の位置を付け替えなさい。 読点を省きなさい」というような内容でした。芥川の文学を、アナウンス原稿と同じように扱っていますね。何も疑わずに「これが本当の朗読なのだな」と鵜呑みにする方が、いらっしゃらないとも限らない…(・・;) 
この本で語られているのは、『本当の朗読』ではなく『アナウンス』のように感じます。
芥川が伝えようとしているのは体験です。まさに読点通りの息遣いです。身体であり心情です。読点を大事に考えることから、芥川作品の受容は深まっていくと思います(^^)

話を戻します。経験を伝えようとしている文学作品は、「体験する」という読み方を待っています。表面だけ、字面だけを追っていては体験になりません。時間をかけて言葉に深くコミットすることが大切です。それでも、経験値を超えるコミットメントはなかなか難しい…。自分だけで読んでいては、そう簡単には超えられません。もし他者の体験に接する機会を持てたならば、刺激を受けたり、気づきが生まれたりして、さらに豊かな体験ができますね!

朗読には、聴き手の読書をより豊かな体験へと導く力があります✨前近代を引き摺ったままの朗読(上手なわかりやすい読み上げ行為)を超えて、ご一緒に豊潤な朗読文化を育んでまいりましょう(^^♪