[文字列]の中には、音声言語で届くことを前提に書かれたものもあれば、そのまま文字言語で届くことを前提に書かれたものもあります。
戯曲、朗読劇の台本、アナウンス原稿は前者。このような文字列の朗読では、朗読者が言語の主体=音声表現者です。どのように表現したら聞いている人は惹きつけられるかしら?どのように表現したら聞いている人にわかりやすく届くかしら?等々、音声表現を磨いたり楽しんだりすればいいですね。
ん⁉️これって、語り芸やアナウンスの行為と何が違うのでしょうか?
[朗読]ではなく、[語り芸]や[アナウンス]って呼べば良いのではないか…と思えてきます。
さて、小説は後者です(ここで小説って何かという問題が出てきますが、何度読んでも新しい発見をさせてくれるものと考えておきます)。小説の朗読では、文字言語の主体は、あくまでも作品世界内の〈語り手〉です。朗読者は言語の主体ではありません。朗読者は音声表現者ではないのです。〈語り手〉を追体験する行為そのものを楽しみましょう(^^)
繰り返しますが、[小説を朗読する]とは、他者である〈語り手〉を追体験する行為です。〈語り手〉を理解することで、追体験が可能になります。〈語り手〉の「語り」をしっかり観察しましょう。観察を重ねることで理解は深化します。安易に解釈することをやめて、理解を深める練習をしましょう。横道に逸れていたら呼び戻しますから、安心して〈語り手〉理解にチャレンジしてくださいね(*^^*)
小説の朗読は、[体験行為]を楽しむ✨ものです。そう確信したときに、結果として、心に響く朗読・心を揺さぶる朗読がついてきます。
目的を取り違えないようにいたしましょう。
〈語り手〉を深く理解することと、〈語り手〉を追体験することを、ご一緒に楽しめますように✨✨